市民ランナー教員の『一歩一歩』

市民ランナー教員の『一歩一歩』

長距離をひた走る小学校教員のロードを振り返る

許すということ

夏休みに入り、閉庁期間前にやらかした。

自分のミスで何人かを巻き込んでしまい、そのことが休み期間、ずっと引っ掛かっていた。

今日はお詫び周り。直接謝るのはドキドキする。


許してもらう。気持ちがすっと楽になる。

許すというのは優しさの象徴的行為なのかもしれない。

「人が何かをやり直すことができるのは過去の過ちを許してくれる人がいて初めて可能になる」


この「許す」という行為、現代ではどんどん「許されない」ものになってはいないだろうか。
間違いを認めず、徹底的に叩く。正義という名のもとに。ネットでも、世間の声でもその論調は強い。
お互いがお互いを監視している。何か叩くことはないか。火に油を注ぐ場合もあれば、線香花火ぐらいの火力に大量の油を注ぐ場合もある。

学校でもそうなってはいないだろうか。
ルールを破れば、すぐさま叱責がとぶ。失敗を責める。「できない」に冷たい。そんな空気を感じる時がある。

もちろん、世の中でも学校でも「許せない」ことはある。ただもう少し、寛容になってもいいのではないか。そう思う。
そして、そんな世の中で自分は許された。一生懸命、やり直さなきゃ。